労務
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シンガポールの労働環境
労働環境
■就業人口
シンガポールの総人口は約605万人前後(2024〜2025年時点)まで増加しており、労働市場は拡大基調にあります。失業率は長年にわたり非常に低水準で推移しており、2025年第3四半期時点で約2.0%前後と安定した水準を維持しています。これは、労働需要が堅調であると同時に労働参加率が高いことを示しています。総雇用者数そのものは増加傾向を維持しており、2025年も前期比で雇用増加が記録されています。なお、外国人労働者の割合は依然として大きく、シンガポールの労働市場の特性の一つとなっています。
【労働状況別の労働者数等】 | |||||||||
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| (単位:1,000人) |
| 2008年 | 2009年 | 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 | 2014年 | 2015年 | 2016年 |
総人口 | 4,839 | 4,988 | 5,078 | 5,184 | 5,312 | 5,399 | 5,470 | 5,535 | 5,607 |
総労働者人口 | 2,940 | 3,030 | 3,136 | 3,237 | 3,362 | 3,444 | 3,531 | 3,610 | 3,673 |
就業者 | 2,858 | 2,906 | 3,047 | 3,150 | 3,275 | 3,353 | 3,440 | 3,516 | 3,570 |
失業者 | 82 | 124 | 89 | 87 | 87 | 91 | 91 | 69 | 77 |
失業率 | 2.2% | 3.2% | 2.2% | 2.1% | 2.0% | 2.0% | 2.0% | 1.90% | 2.10% |
合計特殊出生率 | 1.28% | 1.22% | 1.15% | 1.20% | 1.29% | 1.19% | 1.25% | 1.24% | 1.20% |
人口増加率 | 1.7% | 2.5% | 1.0% | 0.5% | 0.8% | 0.7% | 0.7% | 1.2% | 1.30% |
■産業別就業人口
一般就業者の就業構造を産業別に見ると、サービス業に従事している労働者が最も多く、全体の82%を占めています。また、製造業で働く労働者は減少傾向にありますが、サービス業は増加傾向にあります。
【産業別就業者数の推移】 | |||||||
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| (単位:1,000人) |
産業 | 2008年 | 2009年 | 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 | 2014年 |
製造業 | 311.9 | 293.6 | 291.4 | 292.4 | 288.2 | 280.0 | 249.3 |
建築業 | 105.5 | 113.8 | 104.0 | 99.7 | 104.5 | 101.9 | 98.2 |
卸売・小売 | 269.5 | 272.4 | 281.7 | 300.5 | 306.3 | 302.2 | 346.3 |
運輸・倉庫 | 182.4 | 179.9 | 191.3 | 192.0 | 189.5 | 192.6 | 188.9 |
ホテル・レストラン業 | 120.0 | 124.9 | 128.9 | 135.2 | 129.3 | 135.1 | 137.1 |
情報通信 | 87.0 | 94.3 | 99.9 | 85.4 | 85.8 | 92.1 | 87.8 |
金融業 | 123.6 | 121.9 | 126.0 | 145.5 | 150.6 | 147.8 | 165.6 |
不動産業、賃貸業 | 237.5 | 243.4 | 253.5 | 271.6 | 289.7 | 291.6 | 311.3 |
公共・地域サービス | 391.9 | 404.4 | 448.6 | 453.1 | 470.1 | 486.1 | 494.3 |
その他 | 22.7 | 20.9 | 37.6 | 23.5 | 26.5 | 26.8 | 24.8 |
総計 | 1852.0 | 1869.5 | 1962.9 | 1998.9 | 2040.5 | 2056.2 | 2103.6 |
■失業率
シンガポールの失業率は2001年以降悪化傾向にあり、4.7%まで上がりました。その後2008年には2.2%まで低下したものの、2009年の世界的な景気低迷による外需の落ち込みから製造業を中心に失業者が増え、再度3.2%まで悪化しました。こうした経緯はあるものの、近年のシンガポールでは就業人口は増加傾向にあり、2009年の3.2%をピークに再び減少に向かい、2014年には2.0%に落ち着いています。2015年、2016年も同様に2%前後で上下しています。2025年第3四半期時点の季節調整済み失業率は約2.0%であり、全体ととして労働市場は引き続きタイトな状態が続いています。
■産業別賃金
シンガポールでは最低賃金が法で定められておらず、賃金は雇用者と労働者との交渉によります。賃金は主に職能や職種で決まり、学歴、資格、技能の有無によって格差が生じています。例えば、金融・保険や情報通信といった高度専門職での平均賃金は高く、労働集約型の職種では相対的に低い水準となっています。一方で、最低賃金制度の不在を補完する形で政府が推進しているのが「Progressive Wage Model(PWM)」です。これは特定産業(例:清掃、警備、昇降機保守、そして2025年度からは小売や飲食サービス等)において、スキル・職務レベルに応じた最低賃金水準(ベースライン給与)を段階的に引き上げていく制度です。これにより、低賃金層の労働者の生活水準向上を図る仕組みが構築されています。特に2025年以降、小売業においては、2025年9月から最大6%程度の段階的賃上げが進められる見込みであり、入門レベルの最低月給が上昇することが業界団体・政府合意により進展しています。
シンガポールには法的な最低賃金はありませんが、全国賃金評議会(National Wages Council:NWC)が毎年「賃金ガイドライン」を発表し、政府がこれを支持しています。このガイドラインは法的拘束力はありませんが、低賃金労働者に対して一定のベースアップ(2025〜2026年度は5.5〜7.5%程度)を行うことが推奨されています。
【年次労務費】 | ||||||||
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| (単位: ドル) |
産業 | 総労働費用 | 平均賃金、超過勤務手当、その他固定給 | 賞与 | 雇用者 積立年金 | 源泉徴収 | 社会保険料等 | 従業員教育費 | その他労務費 |
製造業 | 51,669 | 36,172 | 6,398 | 3,379 | 1,869 | 832 | 254 | 2,767 |
建設業 | 32,489 | 22,114 | 1,959 | 1,171 | 3,721 | 551 | 193 | 2,780 |
小売・卸売業 | 57,937 | 41,347 | 7,735 | 3,819 | 1,189 | 737 | 245 | 2,865 |
輸送・保管業 | 55,671 | 40,130 | 6,695 | 4,033 | 1,244 | 908 | 337 | 2,325 |
宿泊・飲食業 | 27,550 | 20,625 | 1,950 | 1,646 | 1,736 | 302 | 190 | 1,102 |
情報・通信業 | 89,853 | 67,617 | 11,339 | 6,228 | 438 | 1,241 | 532 | 2,458 |
会計・保険業 | 164,496 | 109,996 | 34,332 | 8,333 | 190 | 2,211 | 645 | 8,789 |
不動産業 | 49,242 | 35,028 | 7,520 | 3,585 | 1,230 | 505 | 257 | 1,116 |
専門家サービス業 | 94,884 | 69,436 | 12,269 | 5,572 | 867 | 1,335 | 533 | 4,872 |
行政支援サービス業 | 30,138 | 23,356 | 1,522 | 2,049 | 1,297 | 449 | 66 | 1,399 |
地域・社会・個人サービス業 | 72,679 | 49,260 | 12,914 | 6,285 | 558 | 868 | 953 | 1,841 |
その他 | 60,033 | 38,480 | 12,081 | 5,421 | 793 | 687 | 1,025 | 1,546 |
■他国との賃金比較
シンガポールの平均賃金は、アジアの他の国と比較すると高い水準にあります。これは、経済規模・労働生産性の高さ、国際金融・ビジネスセンターとしての役割が反映された結果であるとも言えます。かつて2000年代初頭は、世界的景気変動の影響で給与上昇率が変動しましたが、その後の経済回復と成長を背景に、2010年代以降は賃金の年次上昇が継続的に見られてきました。MOMの分析でも、2016〜2024年では実質賃金が年平均で上昇傾向にあり、2024年には名目で約5〜6%の伸びを記録しています。こうした傾向は2025年にも続いており、労働市場が堅調であることが示されています。
【周辺諸国との月額平均賃金の比較】 | |||
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| (単位: USドル) |
都市 | ワーカー | エンジニア | 中間管理職 |
シンガポール | 1,598 | 2,829 | 4,362 |
横浜 | 2,416 | 3,210 | 4,235 |
ソウル(韓国) | 1,793 | 2,630 | 3,439 |
台北(台湾) | 1,082 | 1,466 | 2,137 |
クアラルンプール(マレーシア) | 453 | 1,000 | 1,857 |
バンコク(タイ) | 369 | 681 | 1,487 |
上海(中国) | 472 | 944 | 1,556 |
ムンバイ(インド) | 345 | 640 | 1,319 |
マニラ(フィリピン) | 267 | 386 | 1,075 |
ジャカルタ(インドネシア) | 263 | 425 | 1,015 |
ホーチミン(ベトナム) | 185 | 351 | 783 |
労働組合と労働争議
■労働組合等
シンガポールにおける労働組合は、極めて社会的地位が高いことが大きな特徴です。労働者は自由に労働組合を結成する権利および雇用者と団体交渉を行う権利を有しています。日本とは異なり、ユニオン・ショップ制は採用されていません。2012年における登録労働組合数は66組合で、約61万人の組合員がいます。この66の組合はシンガポール全国労働組合会議(NTUC:National Trades Union Congress)の傘下にあります。この他、3組合(シンガポール航空会社パイロット組合、シンガポール輸送船舶労働者組合、シンガポール映画産業従業員組合)があります。
NTUCは生活協同組合としての機能が強く、スーパーマーケット、保険会社、旅行会社、タクシー会社などを複数経営し、組合員の生活向上を図っています。また政権のパートナーとして、経済発展に必要な企業の生産性向上に積極的に協力する立場を確立し、政権に極めて密接な存在となっています。
■労働組合法
労働組合法は、労働条件の改善等により、企業・労働者間の労使関係を良好に維持し、企業およびシンガポール経済に貢献する目的で定められています。労働組合法では、登録方法や労働者の権利等について定められており、労働組合は設立から1ヶ月以内に登録官に登録しなければなりません。
また、労働法により組合員は労働争議の計画やそれに係る行為を原則として認められています。ただし、組合内での金銭の受け渡しなどの行為に関しては、罰則が科される場合があります。
なお、シンガポールにおける2008~2012年の労働組合(員)数と雇用者団体(員)数の詳細は以下のとおりです。
【労働組合(員)数と雇用者団体(員)数】 |
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組織 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 |
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労働組合 | 66 | 64 | 65 | 64 | 63 |
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労働組合員 | 613,418 | 655,126 | 686,676 | 718,723 | 740,750 |
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雇用者団体 | 3 | 3 | 3 | 3 | 3 |
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雇用者団体員 | 2,288 | 3,074 | 3,300 | 3,365 | 3,489 |
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| 出所:Ministry of Manpower "Singapore Yearbook of Manpower Statistics 2017" | |||||
■労働争議解決の手続
労使紛争は、労使が自主的に解決できなかった場合は労働省による斡旋、調停に委ねられます。それでも解決できなかった場合は、労働仲裁裁判所に委ねられることになります。
■労働争議の発生状況
仲裁裁判所に付記された案件数は、2003年に38件ありましたが、その後景気回復に伴って減少し、2007年には16件となりました。シンガポールでストライキがめったにないのは、政府による規制が奏功したためともいえますが、より大きな要因は、独立以来高度成長が続き、労働条件が年々改善され、労働者の生活水準が向上してきたことだといわれています。
■労働争議の争点
労働争議が行われる場合はストライキによるものが多く、ストライキは組合員の秘密投票による過半数の賛成により行使できるとされて います。しかし、ストライキの目的は組合員の労働条件に限定され、それ以外、たとえば同情ストや政治ストは違法であり禁止されています。そのため賃金引き上げ、サービス条件、解雇補償金、賞与あるいは謝礼金、インセンティブ、シフト勤務手当といった事項がストライキの目的となります。ほとんどの労働争議は製造業で発生し、次いで金融、保険、不動産業となっています。
しかし、1986年以来シンガポールではストライキは発生していません。この平穏な労使関係はシンガポール経済に大きく寄与しているといわれています。
雇用慣行と労務管理
シンガポールでは、日本のように新卒一括採用や卒業見込み者を対象とした全国的な入社試験を実施する企業は一般的ではありません。一部の政府系機関や大手企業において、大学卒業予定者向けの採用プログラム(Graduate Programme)が存在するものの、多くの企業では欠員や事業拡大のタイミングに応じて、随時採用を行う中途採用型の雇用慣行が主流となっています。
求人方法としては、人材紹介会社(リクルートメント・エージェント)を通じた採用、オンライン求人サイト(LinkedIn、JobStreet、MyCareersFuture 等)、企業ウェブサイト、業界内ネットワーク(紹介)などが一般的です。新聞広告による求人は近年減少傾向にあり、デジタルチャネルを活用した採用活動が中心となっています。
選考プロセスは比較的簡素で、1~2回程度の面接(対面またはオンライン)を経て採否が決定されるケースが多く、日本のような長期的な選考プロセスや集団面接は少数派です。また、入社式や一斉の新人研修制度を設けていない企業も多く、入社初日から実務に就くことが一般的です。必要に応じて、OJT(On-the-Job Training)や短期間の社内研修が行われます。
シンガポールの労働市場においては、転職(いわゆるジョブ・ホッピング)がキャリア形成の一部として広く受け入れられている点が大きな特徴です。労働者は、給与水準、職務内容、キャリアの将来性、ワークライフバランスなどを重視し、より良い条件や成長機会があれば転職することが一般的とされています。企業側もこの傾向を前提として人材採用・定着施策を設計しており、転職歴が必ずしもマイナス評価につながることは少なく、むしろ多様な経験として評価される場合も多いといえます。
なお、景気が拡大局面にある時期には人材の流動性が高まり、転職頻度が上昇する一方、不況期には雇用の安定志向が強まり、労働者の定着率が高まる傾向が見られます。こうした労働市場の柔軟性は、シンガポール経済の競争力を支える要因の一つともなっています。
■祝日
シンガポールの祝日(Public Holidays)は、毎年、労働省(Ministry of Manpower:MOM)により公式に発表されます。原則として、雇用主は労働者に対してこれらの祝日を休日として付与する義務があり、当該休日は有給扱いとなります。
祝日に労働させる場合には、雇用主は代替休日の付与または追加賃金の支払い等、Employment Act に定められた補償措置を講じる必要があります(適用範囲や補償方法は労働者の職種・雇用契約内容により異なります)。原則として、Employment Act に基づき、雇用主は原則として、以下のいずれかの補償を行う必要があり、通常の1日分の賃金に加えて、追加で1日分の基本賃金を支払う、または代替休日(Substitute Day Off)を別日に付与する形となります。
また、祝日が労働者の年次有給休暇(Annual Leave)と重なった場合、当該祝日は年次有給休暇として消化されることはなく、企業は別途振替休日を与えるか、年次有給休暇日数を減算しない形で対応する必要があります。これは、祝日が法定の有給休日として独立して扱われるためです。
このように、シンガポールでは祝日と年次有給休暇は明確に区別されており、雇用主には祝日の適正な管理と労働者への周知が求められます。
【シンガポールの祝日(2017年)】 | ||
祝日名 | 日付 | 詳細 |
新年 | 1月1日 | - |
春節 | 1月28日、1月29日 | 中国の旧正月 |
キリスト受難日 | 4月14日 | イースター(復活祭)前の金曜日で、キリストの受難を偲ぶ日 |
メイ・ディ | 5月1日 | 勤労感謝の日 |
ベサク・ディ | 5月10日 | 釈迦生誕祭 |
ハリ・ラヤ・プアサ | 6月25日 | イスラム教徒の祝日でラマダン明けを祝う日 |
独立記念日 | 8月9日 | シンガポール共和国の独立記念日 |
ハリ・ラヤ・ハジ | 9月1日 | イスラム暦の12月10日に行われる『巡礼の祝日」。6日(月)は振替休日 |
ディババリ | 10月18日 | ヒンドゥ教徒の祝日で新年に相当(変更の可能性あり) |
クリスマス | 12月25日 | - |
■福利厚生
日本企業では、通勤手当、住宅手当、医療保険など、法定義務ではない福利厚生を幅広く設定しているケースが一般的ですが、シンガポールの現地企業においては、こうした手当を一律に支給する慣行は必ずしも一般的ではありません。シンガポールでは、給与水準そのものに福利厚生相当分を織り込む考え方が主流であり、個別の手当よりも、月額基本給や年次賞与を含めた総報酬で条件提示を行う企業が多く見られます。そのため、日本式の手当体系をそのまま導入すると、現地の給与相場や評価制度と乖離が生じる可能性があります。もっとも、優秀な人材の確保や定着を目的として、法定外の福利厚生を戦略的に導入する企業も増加傾向にあります。代表的なものとしては、以下のような福利厚生が挙げられます。
民間医療保険(外来・入院・歯科を含むグループ保険)
フレックスタイム制や在宅勤務などの柔軟な勤務制度
追加の有給休暇(法定日数を上回る付与)
学習・資格取得支援、研修費用補助
ウェルビーイング施策(健康診断、メンタルヘルス支援等)
そのため、シンガポールにおいて優秀な人材を採用・維持するためには、単に日本本社の制度を踏襲するのではなく、現地の報酬水準や競合他社の福利厚生内容を事前に調査したうえで、適切な賃金および福利厚生の組み合わせを設計することが重要となります。
シンガポールの労働法
シンガポールの雇用法
シンガポールの雇用法(Employment Act)は、解雇、賃金の支払、労働時間、休暇、労使間の権利義務の明確化など、労働者の一般的な労働条件を定める基本法です。原則として、シンガポールで雇用される労働者の多くに適用され、労働者保護の中核をなす法令と位置づけられています。
雇用法はこれまで段階的に改正が行われており、直近の大きな改正は2019年4月に実施されました。この改正により、それまで適用除外とされていた管理職・上級職(Managers and Executives:いわゆるPME)についても、雇用法の主要部分が適用対象に含まれるようになり、適用範囲は大幅に拡大しています。
現在も、賃金水準の上昇や働き方の多様化を背景として、時間外労働規制や労働者保護の在り方について継続的な見直しが行われており、今後も制度改正が行われる可能性があります。
雇用法の適用範囲に関する基本的な考え方として、雇用法の適用可否は、まず当該者が「雇用関係」にあるか否かによって判断されます。
雇用関係にある者(Employee)に対しては原則、雇用法が適用されますが、Independent Contractor(独立請負人)は、 サービス契約に基づく関係であり、雇用関係ではないため、雇用法は適用されないこととなります。Independent Contractor に該当する場合、賃金、勤務時間、休暇等については、当事者間の契約内容に全面的に委ねられることになります。また、雇用関係があっても適用除外となる労働者として、雇用関係が存在する場合であっても、以下の労働者については雇用法の適用が除外されています。
船員(Seafarers)
家事労働者(Domestic Workers)
その他、政府が特別に指定する職種の者
かつては「管理職・上級職」が一律に適用除外とされていましたが、2019年改正以降はこの取扱いは変更されており、現在は管理職・上級職も雇用法の適用対象に含まれています。
管理職・上級職に関する適用上の注意点として、管理職・上級職(Managers and Executives)は雇用法の適用対象ではありますが、すべての規定が一律に適用されるわけではありません。特に以下の点に注意が必要です。
時間外労働(Overtime)規定は原則として適用されない
休憩時間、労働時間の上限等についても一部規定は非適用
一方で、解雇、賃金支払、年次有給休暇、医療休暇、祝日等の基本的保護規定は適用される
このため、管理職・上級職を雇用する場合には、雇用契約書において、勤務時間、休日、報酬体系、ボーナス、福利厚生等を明確に定めることが極めて重要となります。
■労働時間
原則シンガポールの1日の法定労働時間は8時間まで、週の法定労働時間は44時間までとされています。連続6時間を超えて仕事をする場合には、会社は必ず休憩時間を設けなければなりません。ただし、週の労働日数が5日の場合には、1日の労働時間を9時間まで延長することができます。その場合であっても週の法定労働時間は変わらず44時間とされています。
上記の1日の法定労働時間または週の法定労働時間を超えて労働者を働かせる場合には、割増賃金として、基本賃金の1.5倍の金額を支払う必要があります。
■時間外労働(Overtime)
上記の1日8時間または週44時間を超えて労働させた場合、当該時間は時間外労働(Overtime)として扱われます。時間外労働に対しては、基本賃金(Basic Rate of Pay)の1.5倍以上の割増賃金を支払う義務があります。なお、以下の点に留意が必要です。
・時間外労働規定は、Employment Act Part IV の適用対象労働者に限られる(管理職・上級職や一定賃金以上の従業員には適用されない)
・時間外労働時間には月間上限(原則72時間)が設けられている
■休日
会社は労働者に少なくとも1週間に1日、法定の休日を与えなければなりません。法定休日はRest Dayと呼ばれ、日曜日に設定されているケースが多くなっておりますが、日曜日以外の曜日に法定休日を設定することも可能です。シンガポールでは、日本と同様に週休2日制を取っている会社が多くなっており、その場合、法定休日以外の休日については、Non Working DayないしOff Dayと呼ばれ、法定休日であるRest Dayと明確に区別されています。
法定休日であるRest Dayに労働者を働かせた場合には、会社は割増賃金として通常の賃金の2倍の金額を支払わなければならないとされています。しかし、Non Working DayもしくはOff Dayに労働者を働かせた場合には、時間外労働と同様の取扱と定められておりますので、会社は割増賃金として通常の賃金の1.5倍の金額を支払えばよいことになります。
賃金に関する法制度
シンガポールの雇用法において、原則として賃金の支払に関しては、1ヶ月に1度以上給与を支払わなければならないとされています。労働者の勤務期間が1ヶ月に満たない場合には、実際の勤務日数または勤務時間に基づき、日割りまたは時間割で賃金を計算することが原則となります。かつては「1日の勤務時間が5時間以下の場合は半日分の賃金として扱う」といった運用が見られましたが、現在の雇用法では、より実態に即した時間単位での賃金計算が一般的となっており、雇用契約書や社内規程に基づいて合理的に算定することが求められます。
また、賃金の支払日についても定めがあり、賃金算定期間が終わった日から7日以内とされています。そのため賃金算定期間を月初から月末に設定している場合であれば、賃金の支払日は翌月の7日までに設定しなければなりません。また、労働者を解雇する場合には、解雇日より3営業日以内に労働者の賃金を支払う必要があります。
労働者側から退職の申し出があった場合には、退職日に賃金を支払う必要がありますが、退職の申し出が、労使間で定めた事前通知期間より後に行われた場合には、退職日より7日以内であれば、遅れて賃金を支払うことが可能です。
雇用契約と就業規則
■雇用契約
シンガポールでは、雇用契約は書面または口頭により締結されます。ただし、多くの企業では紛争を回避するために書面により契約を締結しています。また、2016年以降、雇用法の適用対象となる労働者については、主要な雇用条件を記載した書面の交付が事実上必須となっており、多くの企業では雇用契約書またはオファーレターにこれらの内容を盛り込んでいます。雇用期間については、期間の定めのない契約(Permanent)および有期契約(Fixed-term)のいずれも認められており、当事者間の合意により自由に設定することができます。一般的に、雇用契約には以下のような事項が含まれます。
・職務内容および職位
・勤務時間・休日
・雇用期間(開始日および、定めがある場合は終了日)
・報酬(基本給、手当、支払方法)
・賞与
・昇給・評価制度
・休暇(年次有給休暇、病気休暇等)
・解雇・退職に関する通知期間
なお、日本の雇用契約書をそのまま流用した場合、シンガポールの雇用法制や実務慣行と整合しない条項が含まれることが多く、意図せず法令違反となるリスクがあるため、現地法令に即した内容への調整が不可欠です。
■就業規則
日本では、一定規模以上の事業所において就業規則の作成・届出が義務付けられていますが、シンガポールでは、従業員数にかかわらず、就業規則の作成を義務付ける法令は存在しません。実務上は、勤務時間・休暇制度、懲戒手続、ハラスメント防止、個人情報保護、内部通報制度などを明文化した就業規則(Employee Handbook / HR Policy)を整備している企業が多数を占めています。特に、雇用者側が裁量を行使する場面(懲戒、解雇、評価等)では、就業規則の有無が紛争時の重要な判断材料となるため、一定規模以上の企業では策定が事実上必須といえます。
■雇用契約の終了、雇用の保護
シンガポールでは、日本と異なり、原則として雇用契約で定められた通知期間を守れば、理由を明示せずに雇用を終了できる場合があります。ただし、これは無制限に解雇が認められることを意味するものではなく、雇用法の適用対象となる労働者については、雇用法に定められた手続および最低限の労働者保護規定を順守する必要があります。雇用法の適用対象外の労働者の場合、雇用条件や解雇手続は、原則として雇用契約の定めに従うこととなり、雇用法の適用対象となる労働者の場合には、雇用法に基づく通知期間、賃金支払期限、解雇手続等を順守する必要があります。いずれの場合においても、解雇または契約終了の意思表示は、後日の紛争防止の観点から、書面で通知することが強く推奨されます。また近年では、不当解雇に関する救済制度が整備されており、労働者はTADM(Tripartite Alliance for Dispute Management)や雇用紛争裁判所(ECT)に申立てを行うことが可能となっています。このため、形式的には通知期間を守っていても、実質的に不合理な解雇と判断されるリスクがある点には注意が必要です。
シンガポールの社会保障制度
中央積立基金
中央積立基金( CPF:Central Provident Fund)とは、雇用者と労働者の双方が、一定の金額を個人の口座に積立てをする強制貯金制度のことで、 CPF管理局(Central Provident Fund Board)が管理しています。月額の賃金支給額、受領額が一定の金額を超えるシンガポール国民、永住権保有者(一部の人間を除く)は CPFの加入義務があります。一方、就労ビザ(EP、S Pass、Work Permit等)で就労する外国人労働者については、CPF加入義務はありません。
CPFによって積立てを行う保険料は、労働者の月額給与に一定の割合を乗じて算出し、雇用者および労働者がそれぞれ負担します。
日本の年金制度は、世代間扶養制度であり、年金受給者への年金給付は現役世代といわれる年金保険料の納付者によって支えられる仕組みになっていますが、シンガポールの CPFは積立制度となっており、年金受給者への年金給付は自分が現役時代に納付した保険料から原則として支払われることになります。
■対象者
労働者を1人でも雇用している会社は、CPF管理局(CPF Board)への雇用者登録を行う必要があります。
ただし、CPF保険料の納付義務が発生する労働者は、シンガポール国民およびシンガポール永住権保有者(Permanent Resident:PR)に限定されます。そのため、日本から赴任する駐在員など、就労ビザ(Employment Pass、S Pass等)で就労する外国人については、原則としてCPFへの加入義務はありません。
■保険料の計算基礎になる賃金
原則として、会社から支払われるすべての報酬が保険料計算の基礎になります。こちらは通常の賃金の他、時間外労働に対する賃金、各種手当および賞与等を含みます。ただし、整理解雇手当については保険料計算の基礎に含まれません。
基本的に労使ともにCPF保険料を支払う義務があり、55歳以下の労働者の保険料は月額給与の37%となっています。内訳は雇用者が労働者の月額給与の20%分を負担し、労働者が17%を拠出します。また労働者が61~65歳の場合、雇用者の拠出割合は12%、労働者の拠出割合は10%となります。66歳以上の場合、雇用者の拠出割合は9%、労働者の拠出割合は7.5%となっています。このように負担が減るのは、高年齢労働者を雇用することを奨励する政策に基づいているためです。
■口座
基本的には労働者の賃金から毎月、一定の金額がCPF保険料として天引きされ、CPF口座に振込まれます。具体的に加入者のCPF口座には、次のようなものがあります。
口座に積立てられたC PF保険料には、利息が発生します。加入者は原則として55歳から年金としてC PF口座に積立てられたC PF保険料から日本の年金と同じように月次で給付を受けることが可能になりますが、日本の年金制度とは異なり、受けられる給付金は自分が積立てたCPF保険料と利息を合わせた額になります。
■CPFからの脱退
シンガポール国民または永住権保有者(PR)が、シンガポールを恒久的に離れ、海外に移住する場合には、一定の条件を満たすことでCPFからの脱退(Withdrawal)が可能となります。永住権保持者(PR)の場合、永住権保有者が以下の条件を満たした場合、CPF口座に積み立てられた残高(拠出金および利息)を原則として全額引き出すことができます。
・永住権を正式に放棄していること
・シンガポール国外へ恒久的に移住すること
この引き出しを行った後、当該PRとしてのCPF加入関係は終了します。
再度シンガポールに移住した場合の取扱いについては、一度CPFを脱退(引き出し)した者が、その後再びシンガポールに移住し、新たに永住権を取得した場合には、原則として、過去に引き出したCPF残高を自動的に返納する義務はありません。ただし、以下の点には注意が必要です。
・再取得した永住権は「新たなPR」として扱われる
・CPF拠出は、新しいPRステータスに基づき再開される
・政策上の判断により、住宅購入や各種制度利用の際に、過去のCPF引き出し履歴が考慮される場合がある
そのため、実務上は「必ず返納しなければならない」という制度ではありませんが、将来のPRステータスや住宅政策等への影響を踏まえた判断が必要となります。
労働者の補償条例
■適用範囲
労働災害補償法(Work Injury Compensation Act:WICA)は、労働者が業務または業務に起因して負傷・疾病・死亡した場合の補償制度を定める法律です。WICAは2008年改正以降も段階的に改正されており、2019年および2020年の改正により適用範囲が大幅に拡大されました。現在では、給与水準による適用制限は撤廃され、原則としてすべての雇用契約に基づく労働者が対象となっています。WICAの適用対象は、以下を除く雇用契約(Contract of Service)を締結している労働者です。
・シンガポール国民
・永住権保有者
・外国人労働者(就労ビザ保持者)
・フルタイム・パートタイム労働者
・事務職・管理職を含むすべての職種
以下の者は、WICAの適用対象外とされています。
・自営業者(Self-employed persons)
・独立請負人(Independent Contractors)
・軍人・警察官
・家事労働者(Domestic Workers)
・その他、政令で定められた特定職種
「雇用関係」が存在するか否かが判断基準となり、契約名称ではなく実質的な業務指揮命令関係が重視されます。WICAの大きな特徴は、雇用者の過失の有無を問わず補償が行われる無過失補償制度である点です。労働者は、業務または業務に関連して以下の事由が生じた場合、雇用者の責任の有無に関係なく、法定の補償を受けることができます。
・業務中または通勤中の事故による負傷
・業務に起因する疾病
・労災による後遺障害または死亡
労働者がWICAに基づく補償を受領した場合、原則として同一事故について雇用者を相手取った民事損害賠償請求(訴訟)は行えません。ただし、補償請求と民事訴訟は選択制となっており、どちらか一方のみを選択する必要があります。
■主な補償内容
労働災害補償法で規定された以下の範囲内で、保険金が支払われます。
【労働災害補償の内容】 | |
項目 | 内容 |
休業補償 | 入院が必要な場合は60日を限度として、休業日数に対し給与の全額が支払われます。また、入院の必要がない場合は14日を限度として、休日数に対し、給与の全額が支払われます。上記期間を超えて休業する場合は1年を限度とし、また、金額を30,000Sドルを上限とし、給与の3分の2が支払われます。 |
後遺障害 | 労働能力の喪失程度に従い、補償額が異なります。なお、完全喪失の場合の補償は上限が218,000Sドルで、下限が73,000Sドルとなります。 |
死亡 | 死亡した時の補償額は補償テーブルに従いますが、上限が170,000Sドルで、下限が57,000Sドルとなります。 |
シンガポールに日本人を駐在させる際の留意点
外国人労働許可
原則として、シンガポールで就労する外国人は全員、管理・専門職向けの雇用許可書(Employment Pass)、低技能向け労働許可証(Work Permit)のいずれかを申請しなければなりません。
■管理・専門職向けの雇用許可書
管理・専門職向けの雇用許可書は、月給が4,500Sドルを超える外国人が適用の対象になります。
雇用許可書の申請に当たっては、原則的にシンガポール政府が認知した大学の卒業資格を有していることが基本的な申請資格要件となります。シンガポール人材開発省(MOM:Ministry of Manpower)は認定大学の公開を取り止めましたが、雇用許可書およびS Passの自己査定ツールをウェブサイト上(https://services.mom.gov.sg/sat/satservlet)で提供しており、申請に先立ち自己査定の実施を推奨しています。
雇用許可書を取得するには、現地企業による推薦・保証が必要になります。そのため申請書には、雇用者について記載する欄があり、さらにその労働者が送還されることになった場合は、雇用者が費用を負担することになります。MOMは、申請者を審査することはもちろんですが、雇用者の信用も調査し雇用許可書の発給を決定します。
雇用許可書の発給が決定されると、暫定許可証が郵送され、この許可書の有効期限内(6ヶ月)に初回申請をすることになります。初回申請による雇用許可書の有効期限は最大2年間で、更新時は最高5年間まで付与されます。申請が却下された場合、1ヶ月以内であれば再申請を行うことが可能です。この場合、申請者の技能の説明や、雇用者がこの申請者を必要としている旨、どのような貢献ができるのか等をMOMに文書で説明する必要があります。
■中級レベルの熟練労働者向け許可書
中級レベルの熟練労働者向け許可書(S Pass)は、最低基本月給が2,600~3,000 Sドル前後であること、高等専門学校と同等の学歴・技術資格の保有者であること、関連の実務経験があること等が申請資格となります。前述の雇用許可書よりも下位の許可書としての位置付けとなります。
■低技能向け労働許可証
低技能向け労働許可証は、月額基本給が2,200Sドル未満の外国人熟練・非熟練労働者のための労働許可証(Work Permit)があります。許可証の中では低所得者向けになります。
S Pass、労働許可証ともに労働者数を管理するために毎月の 外国人雇用税、技能開発課徴金の支払が義務付けられています。
■Personalized Employment Pass(PEP)
以前は上記の各種許可書の保有者が離職した場合は、シンガポールから出国しなければなりませんでした。そこで許可書保有者が離職した場合でも引き続きシンガポールで就労できるよう、 個人雇用許可書( PEP:Personalized Employment Pass)という制度が導入されました。この制度により、許可書の保有者が離職した後も、シンガポールに引き続き滞在し(最長6ヶ月)、新たな就職先を探すことが可能になりました。
■外国人労働者雇用法
シンガポールは、労働力不足を補うために外国人労働者を積極的に受け入れる政策をとっています。 外国人労働者雇用法は、外国人労働者を制限する趣旨ではなく、外国人労働者の福祉や、有効な就労ビザの保持など外国人労働者の保護を目的として制定された法律です。もちろん規制もされ、就労ビザを持たない外国人労働者の就労は禁止されています。この法律に違反した雇用に対しては罰金または禁固、もしくはその両方が科されます。
駐在員の社会保険
■社会保険の被保険者資格の継続・喪失
日本から海外に出向する際には、日本国内の企業との雇用関係が継続する(在籍出向)のか、継続しない(転籍出向)のかによってその取扱が異なります。
在籍出向であり、出向元から給与の一部または全部が支払われている場合には、海外に赴任している間でも、健康保険・厚生年金保険・雇用保険等の被保険者資格は継続します。
一方、日本の出向元との雇用関係を終了させ、海外現地法人等との雇用関係を結ぶ転籍出向の場合には、出向元との雇用関係が終了するため、健康保険・厚生年金保険・雇用保険等の被保険者資格は喪失します。
【海外勤務者の社会保険・労働保険】 | ||
要件 | 在籍出向で国内企業から給与の一部または全部が支払われている場合 | 転籍出向で国内企業から給与が支払われていない場合 |
健康保険 | 継続(ただし、海外療養費として請求) | 継続できない |
介護保険 | 海外では適用除外。住民票を除票すれば保険料は原則不要 | 海外では適用除外。保険料は原則不要 |
厚生年金保険 | 継続(国内給与に応じた保険料額) | 原則継続できない |
雇用保険 | 継続(ただし、帰国時のみ失業給付等を受給可能) | 原則継続できない |
労災保険 | 適用除外(特別加入制度あり) | 特別加入制度も適用外 |
■国民年金の任意加入
転籍出向する場合には、日本の出向元企業との雇用関係が終了するため、厚生年金保険の被保険者資格を継続することができません。1年以内の赴任予定であれば、日本国内の居住者となりますので、国民年金への加入をすることになります。
しかし、1年以上の赴任予定の場合には、日本の非居住者となりますので、原則として国民年金に加入する必要はありません。日本の年金制度に加入を希望する方は、国民年金の任意加入手続をすることができます(国民年金法附則5条)。国民年金の任意加入要件は、以下のとおりです。
・ 日本国籍を有する20歳以上65歳未満であること
・ 日本国内で保険料の納付が可能なこと(親族等による代行納付でも可能)
なお、任意加入のメリットは、事故による障害状態になった場合に障害基礎年金を受給できる点などが挙げられます。
■海外で日本の健康保険制度を利用する際の留意点
海外赴任中に海外で医療行為を受けた場合でも、日本の健康保険の被保険者資格が継続していれば、加入している健康保険組合等に「海外療養費」の申請をすることが可能です。ただし、申請に当たっては、以下の点に注意をする必要があります。
・ 「療養費」での申請となるため、海外での医療費を一度全額本人が立て替え、日本の健康保険組合等に申請
・ 日本国内の医療機関で同じ傷病を治療した場合にかかる治療費を基準に計算した金額(実際に海外で支払った金額の方が少ない時はその額)から自己負担額を差引いた額を支給
なお、支給算定に当たっての邦貨換算率は、支給決定する日の外国為替換算率を使用します。
健康保険の海外療養費申請には以下の書類が必要であり、提出書類が日本語以外の言語で記載されている場合には、翻訳者の氏名および住所を明記し押印した日本語翻訳文を添付しなければなりません。
・ 療養費支給申請書
・ 療養内容証明書
・ 領収明細書
・ 領収書(原本)
[ 日本国内の健康保険制度の継続]
日本国内の企業との雇用関係が継続しない場合には、健康保険の被保険者資格は喪失となります。しかし、健康保険の任意継続被保険者制度を利用するか、国民健康保険に加入することで、日本国内の健康保険制度に加入することができます(健康保険法37条)。
なお、健康保険の任意継続被保険者制度は、資格喪失日まで遡って2年間を限度に資格を取得することができます。ただし、健康保険の任意継続被保険者制度は資格喪失後20日以内、国民健康保険の加入は資格喪失後14日以内に行う必要があるため、早急な対応が求められます。
[ 健康保険任意継続被保険者の保険料]
以下のいずれか低い金額に保険料率を乗じた金額が、健康保険任意継続被保険者の保険料となります。ただし、在職中と異なり、事業所が負担していた保険料についても自己負担となります。
・ 退職時の標準報酬月額
・ 加入していた保険者ごとに定められる標準報酬月額の平均額
[ 国民健康保険の保険料]
被保険者の所得等に応じ、市区町村の規定により算出される金額となります。
■労災保険の特別加入
労災保険は、日本国内にある事業所で働く労働者が保険給付の対象となるため、海外の事業所に出向する労働者は対象外になります。
海外に出向する労働者については、海外派遣者特別加入制度を利用することで、労災保険の保険給付を受けることが可能となります(労働者災害補償保険法3 3条)。ただし、労災保険の特別加入制度の適用を受けられるのは在籍出向の場合であり、転籍出向の場合は適用されません。
特別加入者の保険料は、保険料算定基礎額に保険料率を乗じた金額で、年間で最低5,108円、最高3万6,50 0円であり、特別加入対象者は以下のとおりとなります。
・ 日本国内で行われる事業(有期事業を除く)から派遣され、海外で行われる事業に従事する労働者
・ 日本国内で行われる事業(有期事業を除く)から派遣され、海外にある一定数以下の労働者を常時使用する中小企業※ に従事する事業主およびその他労働者以外の者
※中小企業の規模
金融業・保険業・不動産業・小売業:50名以下
卸売・サービス業:100名以下
上記以外の業種:300名以下
・ 国際協力機構等開発途上地域に対する技術協力を実施する事業(有期事業を除く)を行う団体から派遣され、開発途上国地域で行われている事業に従事する者
■海外旅行傷害保険
[ 駐在員赴任時の取扱]
海外赴任をする際には、公的な保険の加入に加えて 海外旅行傷害保険への加入の検討を行うことが望ましいです。 海外旅行傷害保険は、保険会社が契約を結んでいる病院で治療をする場合には、現金不要で治療を受けることができます。また公的な保険とは異なり、契約した保険金額を限度として実際にかかった医療費の実費が支払われます。海外旅行傷害保険の新規加入は、出国後に手続をすることができませんので、必ず出国までに加入手続を済ませる必要があります。
[ 駐在員帰任時の取扱]
駐在員が帰任することになった場合には、その年の年末調整の対象となります。対象となる給与は、居住者となった日(帰任した日)以後に支払われた給与です。また、給与以外の所得が一定の金額以上ある場合などには、年末調整のほか、その年の確定申告を行う必要があります。
駐在員の給与設計と計算事例
■日本とシンガポールの給与格差問題
シンガポール駐在員に対して給与を支払う場合、日本とシンガポールで給与計算方法、適用税率に差があることから、その支給に当たっても日本と同様ではなく、給与額の設定、支給形態を事前に検討する必要があります。
日本と同様の給与を支払うと基本的には、シンガポールで受取る手取給与額が高くなります。
[日本とシンガポールの税率比較]
収入金額 | 給与所得控除額 |
1,625,000円まで | 650,000円 |
1,625,001円から1,800,000円まで | 年収×40% |
1,800,001円から3,600,000円まで | 年収×30%+180,000円 |
3,600,001円から6,600,000円まで | 年収×20%+540,000円 |
6,600,001円から10,000,000円まで | 年収×10%+1,200,000円 |
10,000,001円以上 | 2,200,000円 |
出所:国税庁
【個人所得税率(居住者)の場合】 | |||||||
(単位:シンガポールドル) | |||||||
年間課税所得 | 税額及び税率 | ||||||
0 | ~ | 30,000 |
|
| 20,000 | を超える部分に対し | 2.0% |
30,001 | ~ | 40,000 | 200 | + | 30,000 | を超える部分に対し | 3.5% |
40,001 | ~ | 80,000 | 550 | + | 40,000 | を超える部分に対し | 7.0% |
80,001 | ~ | 120,000 | 3,350 | + | 80,000 | を超える部分に対し | 11.5% |
120,001 | ~ | 160,000 | 7,950 | + | 120,000 | を超える部分に対し | 15.0% |
160,001 | ~ | 200,000 | 13,950 | + | 160,000 | を超える部分に対し | 18.0% |
200,001 | ~ | 240,001 | 21,150 | + | 200,000 | を超える部分に対し | 19.0% |
240,001 | ~ | 280,001 | 28,750 | + | 240,000 | を超える部分に対し | 19.5% |
280,001 | ~ | 320,000 | 36,550 | + | 280,000 | を超える部分に対し | 20.0% |
320,000 | ~ |
| 44,550 | + | 320,000 | を超える部分に対し | 22.0% |
参考文献
・ Department of Statistics Singapore
・ ジェトロ・シンガポール「シンガポール経済の動向」2013 年10 月16 日
・ ニコラス・テオ、中川真理子解説(ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所)「シンガポール雇用法――雇用契約の標準的な条項と考慮すべき事項」2005 年5 月